磚(せん)とは


神戸芸術工科大学 准教授 山之内誠
磚の起源
磚は、「甎」とも表記され、中国における焼成煉瓦を意味する語である。すなわち、捏ねた粘土を型枠入れて成型し、乾燥させて焼いたものである。文献の上では、西周時代(紀元前900年)頃から存在したらしく、中国では便利でポピュラーな建築資材として多用されてきた。ちなみに、焼かずに乾燥させただけのいわゆる日乾煉瓦のことを中国では「土磚」または「土磚」と称しており、磚よりも遥か昔の先史時代(紀元前1600年頃)から存在したといわれている。
 磚の使用法をみると、古来より積み上げて建築物の壁体にする構法(組積造)や、建築の基壇・床材として使用する構法(日本でいうところの「敷き瓦」)が一般的なようだが、中国ではアーチ・ヴォールト等の構造体を含む建築全体を磚で造り上げる磚造ヴォールト建築も存在する。黄土平原を中心に木材や石材の資源が乏しい地域では、比較的安価な建築資材として重宝な存在であったために、磚を用いる技術が発達したと推察できる。
なお、粘土から造る磚が安価であることは確かだが、しかしながら日乾煉瓦と比較すれば焼成する分だけ高価であることも事実である。したがって、古来より民家の塀を積む場合は、外側のみに磚を用い、内部には日乾煉瓦や土礫を詰めるのが一般的であった。

磚は、粘土を低温焼成したものであるが、形に着目した場合、大きくは方磚と条磚に分類できる。方磚とは、その名の通り表面が正方形の磚のことで、一辺が約40cm、厚さ7〜8cm程度の寸法が一般的である。条磚は、方磚を半裁したもので、したがって縦横比が1対2の形状の磚である。このほか、空心磚と呼ばれる中が空洞になった大きな磚も存在し、漢代の墳墓などに用いられた。
 また、色彩の観点から見ると、唐代以降は釉薬を用いて発色させた琉璃釉磚が出現する。これはいわゆる唐三彩の技術で、発色材に鉛を加えることによって緑・褐色・白・藍色に発色させたものである。北京の故宮にみられる九龍壁などをはじめ、基壇などにも用いられ、日本でも平城宮の東院などで出土している。
 さらに美術工芸的な性格の強いものとして、磚の表面に幾何学模様や動植物、あるいは人々の生活の様子などを型押しして描いた画像磚や、仏を彫り出した磚仏なども存在し、主として墳墓や仏塔などに用いられた。


山西省の磚建築
中国の山西省では、世界文化遺産に登録された平遥古城をはじめとして、磚による建築が多く営まれている。例えば霊石県静升村に位置する王家大院は、城壁で囲まれた巨大な住宅群であるが、至るところ磚により建築されている。
王家大院は、豆腐売りから身を立てて財を成した王氏が清代に建立した住宅である。住宅といっても、総敷地面積34,650平米に及ぶ壮大な建築群で、堅牢な城壁に守られている姿は城塞と呼ぶほうが似つかわしい。この内部に四合院の建築が整然と配置されているのだが、いずれも磚を積んだ壁が重厚で静かな佇まいを見せている。ただし、その大半は純然たる磚造ではなく、木製の柱や梁を混用し、腰壁や妻壁に磚を用いる構造をとる。そのなかで各院最奥の正房は、斜面地の特性を生かして1階を3連の窰洞にしており、その背後は地中となる。すなわち崖に横穴を空けた形式(靠山式)の窰洞である。これらの正面は崩壊から守るために磚を積んだ壁面で固められているが、仔細に見ると内部まで磚造ヴォールト構造にしている点が興味深い。おそらく、実際には崖に横穴を掘って造られるのではなく、地上に室内空間になる穴の型を造り、それを土台にして磚造ヴォールトを築いた後、型を抜いて仕上げたものだと推測できる。
 なお、王家大院においては城壁や城門も、もちろん磚で造られている。これらの巨大な建築は、山西商人の築いた富と文化の象徴であると同時に、磚による建築文化の到達点を示すものと言えるだろう。

山西省・平遥古城の外壁が崩れた民家

磚造ヴォールトによる内部空間

文廟の隣の大戯堂前にある九龍壁。鮮やかな琉璃磚がみられる

王家大院高家崖(東堡)の城門

城壁の上からみた王家大院

王家大院の小路
両側の壁と路面がすべて磚でつくられる

王家大院紅門堡(西堡)の城壁

撮影:山之内誠
山之内 誠

神戸芸術工科大学 准教授
東京大学大学院博士課程修了
日本建築史が専門。建設省住宅局技官を経て日本建築史および古建築修復に携わる。
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